紀元前11世紀〜紀元前256年、中国には周王朝が存在していました。
紀元前8世紀に遊牧民が攻めてきたため周は都を東の洛邑に遷します(紀元前770年)。
その後、周は徐々に衰退。そして中国には周の他に複数の国が存立することになります。これらの国々のうち弱小国は勢力争いで滅亡していきました。
そしておもに戦国の七雄と呼ばれる七か国に吸収されていきます。
今回は、戦国の七雄の概要とその覚え方(語呂合わせ)についてご紹介します。
戦国の七雄について
(紀元前260年の戦国七雄 出典:Wikipedia)
戦国の七雄とは、古代中国の戦国時代(紀元前5世紀~紀元前221年)に国家として存在していた七つの国のことです。
中国北東に位置する「燕」から時計回りに「燕(えん)、斉(せい)、楚(そ)、秦(しん)、韓(かん)、魏(ぎ)、趙(ちょう)」という七国がありました。
戦国時代よりも前、周王朝(紀元前1046年頃~紀元前256年)後期の春秋時代(紀元前770年~紀元前5世紀)と呼ばれる時には、多数の国が存在していました。弱小国は次々と他国に飲み込まれていき、戦国時代には主に七か国にまとまりました。
(※実際には、この七か国以外にも、魯、衛などのように小さな国は存在していましたし、細々と周王朝も存続していました)
七か国それぞれに王がいて、その後は領土拡大や国境をめぐる小競り合いなど、争いがよくおきていました。
次第に中国の北西に位置する「秦」が力を強め、そして第31代秦王・嬴政(えいせい)のとき、秦が他の6か国を滅ぼして、中国統一を成します(紀元前221年)。
韓滅亡(紀元前230年)→趙滅亡(紀元前228年)→魏滅亡(紀元前225年)→楚滅亡(紀元前223年)→燕滅亡(紀元前222年)→斉滅亡(紀元前221年)という流れで中国は統一され、紀元前221年に、秦王・嬴政は始皇帝と称しました。
(初代秦の始皇帝 出典:Wikipedia)
しかし、中国を統一した秦は紀元前206年、二世皇帝・子嬰(しえい)のときに、劉邦・項羽によって滅ぼされます。
これにより、戦国の七雄はすべて滅亡しました。
【戦国の七雄の覚え方】簡単!語呂合わせを紹介
戦国の七雄の語呂合わせ①
艦長(韓、趙)が偽装(魏、楚)して遠征(燕、斉)で死ん(秦)だ
大和の艦長が敵をだますために偽装して遠征したのに残念ながら死んでしまいました。滅びた順番に並んでいます。
戦国の七雄の語呂合わせ②
え(燕)?あの清楚(斉楚)な神官(秦韓)が議長(魏趙)に?!
清楚な装いの女性の神官さんが町議会の議長になったそうです。中国北東に位置する「燕」から時計周りの順番です。
戦国の七雄の語呂合わせ③
送信(楚秦)再延長(さい→せい→斉、燕、趙)はイカン(イ→ギ→魏、韓)
ケーブルテレビの送信を再延長する手続きをしたかったけどダメでした。楚>秦>斉≒燕≒趙>魏>韓と、おおまかに領土が広い順番です(領土争いで勢力圏は変動していました)。
以上、戦国の七雄の語呂合わせでした!