【ベルリンの壁崩壊の語呂合わせ】年号(1989年)の覚え方を紹介!【おすすめ5選】

 

ベルリンの壁は東西冷戦を象徴するものでしたが、この壁が崩壊し、東西ドイツが統一される流れができたことで、アメリカとソ連は冷戦の終結を宣言しました。

 

そして、その影響は東欧諸国にも民主化運動として広がっていきました。

 

今回は世界に大きな影響を与えた1989年のベルリンの壁崩壊の概要・年号の覚え方についてご紹介します。

 

ベルリンの壁崩壊とは?

(ベルリンの壁に登る東西ベルリン市民 出典:Wikipedia

 

 

ベルリンの壁崩壊とは、1989年11月に、東ドイツの民主化運動の盛り上がりにより、冷戦の象徴である「ベルリンの壁」が崩壊した出来事のことです。

 

第二次世界大戦後、ドイツは米・仏・英とソ連の四カ国によって分割され、占領。また首都のベルリンもその四カ国で分割占領されました。

 

社会主義国のソ連と自由主義国の米仏英は対立を深め、ドイツでは社会主義陣営のドイツ民主共和国(東ドイツ)と自由主義陣営のドイツ連邦共和国(西ドイツ)が設立され、二つに分断されました。

 

するとソ連が占領する東ベルリンから米仏英が占領する西ベルリンへ市民が流出し、東ドイツは大きな危機感を持つことになります。

 

そこで、1961年に西ベルリンの周囲を壁で囲みました。

 

 

(東ドイツにより建設中の壁 出典:Wikipedia

 

 

このベルリンの壁によって西ベルリンへの移動は不可能となりました。

 

しかしその後、ソ連では閉塞状態となり、共産党書記長になったゴルバチョフを中心に改革が起こり、東ドイツでも民主化運動が高まりました。

 

そのさなかの1989年、出国の規制緩和について政府が不用意な発言をしたことで東ドイツの民衆が壁の国境地帯に集結、なし崩し的に壁の国境ゲートが解放されました。

 

そして壁は人々によって破壊され、後に東ドイツによって撤去されました。

 

翌年の1990年に東ドイツは西ドイツに吸収される形で統一を果たし、冷戦の終結へと向かいました。

 

【ベルリンの壁崩壊の語呂合わせ】年号(1989年)の覚え方!

ベルリンの壁崩壊の語呂合わせ①

壁を壊して行く(19)?野球(89)見に!

 

社会主義国では野球などの娯楽も自由に見に行くことは難しかったでしょう。

 

ベルリンの壁崩壊の語呂合わせ②

ベルリンの壁の一区(19)はパンク(89)状態

 

規制緩和の情報を受けて、東ドイツではベルリンの壁に民衆が殺到し、パンク状態になり、それが崩壊へつながりました。

 

ベルリンの壁崩壊の語呂合わせ③

ベルリンの壁で引く(19)くらい爆(89)発した不満

 

長年の分断によって民衆の不満は最高潮に達していたことでしょう。

 

ベルリンの壁崩壊の語呂合わせ④

壁崩壊で行く(19)ぞ!バンク(89)へ!

 

資本主義と共産主義では経済の仕組みも異なりお金の扱い方も違うので、銀行にも人々は殺到したでしょう。

 

ベルリンの壁崩壊の語呂合わせ⑤

塾(19)で吐く(89)ほど習った壁崩壊

 

塾などでも、冷戦終結の象徴として詳しく教えられますね。

 

 

ベルリンの壁崩壊の語呂合わせでした!

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