【版籍奉還の語呂合わせ】年号(1869年)の覚え方を紹介!【おすすめ5選】

 

日本の近代化を目指した明治の新政府は次々と新たな政策を実施していきました。

 

今回はその中でも後の廃藩置県につながった版籍奉還の概要・覚え方(語呂合わせ)についてご紹介します。

 

版籍奉還とは?

 

 

版籍奉還とは、1869年に行われた中央集権化の政策のことで、それまで各地の大名が所有していた土地(版)と人民(籍)の支配権を朝廷に返上させました。

 

これによりそれまで地方が支配していた税収や軍事権は明治政府が握ることになります。

 

明治政府に金と人が集まる中央集権の仕組みは近代化の目的でもある「富国強兵」の実現に向けて大きな力を貸すことになりました。

 

◆大政奉還から版籍奉還、廃藩置県までの流れ

1867年徳川慶喜が政権(行政・司法・立法)を朝廷に返上する「大政奉還」を行います。

 

 

しかし大政奉還が行われた後も依然として各地方は藩主が支配しており、新政府の力は弱いものでした。

 

そこで大久保利通や木戸孝允が発案・実施したのが「版籍奉還」です。

 

まずは「薩摩・長州・土佐・肥前」の4藩に版籍奉還を行わせて他の藩もこれに追随するように仕向けました。

 

また藩主はそれぞれの藩の「藩知事」という立場も与えられたことから版籍奉還に対して大きな反乱は起きなかったといいます。

 

さらに1868年の戊辰戦争で戦費などの予算を使い果たしていた藩も多く、藩を維持していくために進んで版籍奉還に応じた藩もありました。

 

 

そして1871年にはついに「廃藩置県」が実施され、長年の封建制度も終わりを迎えました。

 

 

廃藩置県に際しては薩摩・長州・土佐・肥前の4藩を中心とした「御親兵(ごしんへい)」を準備したうえで藩知事たちを華族という身分に取り立てるなどの根回しが行われていたため反乱を抑えることに成功しました。

 

この大政奉還から版籍奉還、廃藩置県の流れの中で日本の地方分権は弱体化し中央集権が確立されていくことになったのです。

 

【版籍奉還の語呂合わせ】年号(1869年)の覚え方!

【版籍奉還の語呂合わせ①】

人は(18)むく(69)れて版籍奉還

 

記事中には版籍奉還の際に大きな反乱はなかったと記しましたが、藩主にしてみればやはり無理やりやらされた感はあったと想像できます。そりゃむくれもします。

 

【版籍奉還の語呂合わせ②】

いや(18)無垢(69)に受け入れた版籍奉還

 

藩主にとっては面白くなかったであろう版籍奉還ですが庶民にとっては支配者が藩主から政府に変わっても生活に変わりはなかったわけですから案外素直に受け入れたのでは?

 

【版籍奉還の語呂合わせ③】

いや(18)労苦(69)もあった版籍奉還

 

版籍奉還の実施に際しては藩主を藩知事にして収入も約束するなどそれなりに苦労もありました。

 

【版籍奉還の語呂合わせ④】

一派(18)も無口(69)になる版籍奉還

 

版籍奉還の前年には戊辰戦争があり各藩の財政はひっ迫していました。文句を言いたくても言えない現実があったのですね。

 

【版籍奉還の語呂合わせ⑤】

一派(18)無休(69)で版籍奉還

 

版籍奉還を考えたのは大久保利通や木戸孝允らです。休日も返上して明治政府の中央集権化のために何をするかを考えたことでしょう。

 

 

以上、版籍奉還の語呂合わせでした!

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