江戸時代も後期になると幕府財政は赤字続きになりました。

 

幕府財政の立て直しのために、田沼意次の時代には発達してきた商業を重視する政策がとられました。

 

しかし、賄賂がはびこり、また飢饉のために百姓一揆や打ちこわしが頻発しました。このような時期になされたのが寛政の改革です。

 

これは3つの重要な幕政改革の1つですので、概要と年号をしっかり学習しておきましょう。

 

寛政の改革とは?

(松平定信 出典:Wikipedia)

 

 

寛政の改革とは、1787年に老中筆頭となった白河藩主松平定信が始めた幕政改革のことです。

 

定信は8代将軍徳川吉宗の孫であり、白河藩主として藩政改革に成功し、また教養の高い文人としても有名でした。定信は、幕府の立て直しを世の中から期待されて政権の座についたのです。

 

定信の前の田沼時代は、商業に財政の基盤を求めようとする政策がとられました。

 

たとえば、新財源として米穀以外の商品作物に着目したり、株仲間を公認して特権商人から運上金や冥加金を徴収しました。

 

しかし、役人が商人と癒着して賄賂が横行するなど弊害も大きくなり、そのうえ、浅間山噴火をきっかけに天明の大飢饉などが起こり、世の中が不穏な情勢になりました。

 

こうした状況に対して、定信による寛政の改革は基本的に吉宗の享保の改革にならった農業本位の政策であり、あらゆる階層に倹約を求めました。

 

 

だだし、質素な生活を求めるばかりでなく、土地を失うなどして江戸に流れ込んでいた農民たちに資金を与えて帰農させる旧里帰農令、飢饉対策として各大名に社倉や義倉を作らせて、穀物を備蓄させる囲い米を実施しました。

 

また、江戸の救荒対策として七分積金。さらに、無宿人に職業訓練を施す人足寄場を江戸石川島に設置しました。

 

困窮した武士層のためには、札差に債権を放棄するように命じる棄捐令を出したことも重要です。また、田沼時代に公認された株仲間を禁止したのも、寛政の改革の一環です。

 

文化政策としては寛政異学の禁があります。これは、朱子学を幕府公認の学問とし、幕府の昌平坂学問所ではこれ以外の学問を教えることを禁じました。

 

寛政の改革は赤字を解消したうえに多少の備蓄金を生み出すなど、一定の成果を上げましたが、享保の改革、天保の改革と同様、時代を元に戻そうとする政策であり、かならずしも幕府の根本的な立て直しにはなりませんでした。

 

【寛政の改革の覚え方】年号(1787年)の語呂合わせ

寛政の改革の語呂合わせ①

寛政に非難は(178)な(7)いかと定信公

 

昔から言われてきた定番の語呂合わせの1つですが、幕藩体制の立て直しを求めた改革の基本路線に関わらせて「ひ(1)なん(7)は(8)な(7)いか」と覚えましょう。

 

寛政の改革の語呂合わせ②

粋な(17)花(87)咲く寛政の改革

 

これも①と同じく、昔から言われてきた定番の語呂合わせの1つですが、当初、松平定信が周囲の期待に満ちて登場したことに関わらせて「いき(1)な(7)は(8)な(7)」咲くと覚えましょう。

 

寛政の改革の語呂合わせ③

寛政の改革の人名は(178)鳴る(7)

 

これは②と同様、松平定信が幕閣だけでなく多くの人から期待されていたことに関わらせて「ひと(1)な(7)は(8)なる(7)」と覚えましょう。

 

寛政の改革の語呂合わせ④

寛政の改革に「否は(178)なき(7)」と松平定信

 

松平定信は、自分の味方である諸大名と合議を重ねながら、強力に改革を推し進めたことに関わらせて「い(1)な(7)は(8)なき(7)」と覚えましょう。

 

寛政の改革の語呂合わせ⑤

批難(17)半端(8)ない(7)、寛政の改革

 

改革の途中から、あまりに厳しい緊縮政策に批判が出てきたことに関わらせて「ひ(1)なん(7)はんぱ(8)ない(7)」と覚えましょう。

 

寛政の改革の語呂合わせ⑥

非難(17)止まない(87)寛政の改革

 

こちらも厳しい緊縮政策に批判という意味を込めて「ひ(1)なん(7)や(8)まな(7)い」と覚えましょう。

 

 

以上、寛政の改革の語呂合わせでした!

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