【三国同盟の覚え方】年号(1882年)&国名の語呂合わせを紹介!【おすすめ5選】

 

1880年代後半のヨーロッパではドイツが世界政策に積極的に動き、その動きに同調する国と対抗する国の間に緊張感が高まっていきます。

 

今回は第一次世界大戦へと動き出すきっかけとなった「三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)の概要・覚え方(語呂合わせ)」を紹介します。

 

三国同盟とは?

(1886年のビスマルク 出典:Wikipedia

 

 

三国同盟とは、1882年にドイツ・オーストリア・イタリアの3国が結んだ軍事同盟のことです。

 

三国同盟を主導したのはドイツ首相のビスマルクでした。

 

こうして3国が同盟を結んだことは他の国の脅威となり三国同盟に対抗して三国協商が結ばれることになります。

 

そして三国同盟対三国協商という図式がついには第一次世界大戦へと拡大してしまったのです。

 

三国協商とは?

 

三国同盟に対抗してできたのがイギリス・フランス・ロシアによる三国協商です。

三国協商は1891年の露仏同盟、1904年の英仏協商、1907年の英露協商のそれぞれが関係しあって成り立っていました。

日本も1902年の日英同盟、1907年の日露協商を理由に三国協商側につきました。

 

※同盟と協商の違いについてですが、同盟とは軍事的な協力を有するもの、協商とは軍事的な協力はしないもの、と理解しておきましょう。

 

 

◆三国同盟対三国協商のその後

この当時のヨーロッパは少数民族を多く抱えるバルカン半島でいつ紛争が起きてもおかしくないくらいに緊張感が高まっていました。

 

ヨーロッパ大陸の南東部に位置するバルカン半島の状況は「ヨーロッパの火薬庫」といわれていたほどで、ひとたび紛争が起きれば戦火はヨーロッパじゅうに飛び火すると危惧されていたのです。

 

1914年サラエボでオーストリアの皇太子が暗殺される「サラエボ事件」が起きました。

 

そしてついに同盟国(三国同盟側)と連合国(三国協商側)に分かれて第一次世界大戦が始まったのです。

 

 

【三国同盟の覚え方】年号(1882年)&国名の語呂合わせ

【三国同盟の語呂合わせ・年号①】

いや(18)な奴(82)と思っても三国同盟

 

政治の世界は好き嫌いよりも利害関係の一致がなにより優先。三国同盟に加わっていたイタリアは後に離脱し三国協商側につきました。

 

【三国同盟の語呂合わせ・年号②】

いや(18)ハッピー(82)になれると信じた三国同盟

 

三国同盟ができたことで第一次世界大戦の導火線に火がついたようなもので、どう考えてもハッピーな結末にはなりませんでした。

 

【三国同盟の語呂合わせ・年号③】

いや!(18)バツ(82)が悪かった三国同盟

 

三国同盟対三国協商は軍事面・経済面でことごとく対立していたドイツ対イギリスという側面もありました。

 

【三国同盟の語呂合わせ・国名④】

三国同盟には毒が多い(独が墺伊)

 

三国同盟ができたことで戦争という毒がじわじわとヨーロッパに近づいてきました。

*ドイツ:独逸 オーストリア:墺太利 イタリア:伊太利亜

 

【三国同盟の語呂合わせ・国名⑤】

三国同盟に喜んで同意(独墺伊)した

 

三国同盟の先になにを見ていたのでしょうか?

 

 

以上、三国同盟の語呂合わせでした!

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