【江戸三大改革の覚え方】簡単!語呂合わせを紹介【おすすめ3選】

 

徳川家康によって開かれた江戸幕府

 

江戸には大きな転換期がたくさんあり、その中でも「江戸の三大改革」が有名です。

 

今回はこの三大改革の概要・改革名と人物の覚え方(語呂合わせ)をご紹介していきます。

 

 

江戸三大改革とは?

 

江戸三大改革とは、江戸時代に行われた「享保の改革」「寛政の改革」「天保の改革」の3つの大きな改革のことです。

 

①享保の改革について詳しく!

享保の改革とは、17161745年、8代将軍徳川吉宗によっておこなわれた改革です。

 

吉宗は家康の曾孫であり、紀州藩主から将軍になりました。吉宗の基本方針は「諸事権現様御掟の通り」であり、改革は家康の時代を理想として進められました。

 

享保の改革は幕府財政の再建を重点としました。

 

倹約令は江戸の三大改革に共通しますが、支出を抑えて財政健全化を目的とする政策です。

 

また、諸大名に上げ米を命じ、さらに新田開発の奨励と株仲間の公認、司法制度にも関わりますが、相対済し令が重要です。

 

吉宗は米価の安定を心がけ「米将軍」、「米公方」などと呼ばれました。

 

また人材登用のために足高の制を定め、庶民の意見を知るために目安箱を評定所前に設置しました。

 

江戸の防火対策には広小路や火除地を確保し、町火消を新設しました。目安箱の投書を採用して小石川養生所を作ったことも重要です。

 

さらに、実学を重視して、青木昆陽に甘藷の研究を命じ、また漢訳洋書の輸入禁止を緩和したことも忘れてはなりません。

 

享保の改革は一定の成果を上げ、吉宗は幕府中興の英主といわれました。

 

 

②寛政の改革について詳しく!

寛政の改革とは、17871793年、老中松平定信による一連の改革をいいます。

 

吉宗の孫である定信は、三家と三卿の支持を受けて老中筆頭となり、翌1788年には将軍補佐となりました。

 

定信の政策は基本的に農業重視で、商業資本を抑制するものです。

 

寛政の改革として重要なのは、厳しい倹約令、飢饉対策としての社倉や義倉、囲い米、農村復興策としての旧里帰農令などです。

 

江戸に七分積金の制度とともに、無宿人対策として石川島に人足寄場を設置したこと、貧窮した旗本御家人救済のために棄捐令を出したことも大事です。

 

文化の領域にも介入し、寛政異学の禁によって朱子学以外の学問を抑圧し、出版統制令を発して洒落本や滑稽本ばかりでなく、政治批判も封じました。

 

寛政の改革は、今でいう社会政策的な方向性ももっていましたが、全体としては成果にとぼしかったといわれています。

 

③天保の改革について詳しく!

天保の改革とは、1841~1843年、老中水野忠邦による幕政改革です。

 

忠邦は享保と寛政の改革にならって、緊縮財政や綱紀粛正を打ち出しましたが、歴史の大きなうねりを無視した後ろ向きの政策で、幕政立て直しにはなりませんでした。

 

忠邦の改革政策でおさえておく必要があるのは、出稼ぎ農民を帰農させるための人返し令、物価抑制のための株仲間解散、江戸と大坂の10里四方を幕府直轄領にしようとする上地令などですが、どれも成果を上げることができませんでした。

 

【江戸三大改革の覚え方】簡単!語呂合わせ

江戸三大改革の語呂合わせ①

「よし今日は、松のしんを完成だ、水を保ってしっかりと」

 

よし=徳川吉宗   今日=享保

松=松平定信   完成=寛政

水=水野忠邦   保って=天保

 

江戸三大改革の語呂合わせ②

「巨峰を胸に、完成を待つ、天ぷら食べて、水飲んで」

 

巨峰=享保   胸=徳川吉宗

完成=寛政    待つ=松平定信

天ぷら=天保   水=水野忠邦

 

江戸三大改革の語呂合わせ③

「京の旨は良し、関西も定まった、テンポ良くただ進め」

 

京=享保   良し=徳川吉宗

関西=寛政   定=松平定信

テンポ=天保   ただ=水野忠邦

 

 

以上、江戸三大改革の覚え方でした!

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