【藤原道長の摂政就任の語呂合わせ】年号(1016年)の覚え方を紹介!【おすすめ5選】

 

平安時代は貴族政治の全盛期で、藤原氏が絶大な権力をもっていました。

 

その中でも最も権勢をふるったのは、藤原道長です。

 

「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」という道長の歌にもその勢いがみてとれます。

 

今回はそんな藤原道長が1016年に摂政に就任した出来事について、概要や年号の覚え方をご紹介します。

 

藤原道長の摂政就任とは?

(藤原道長 出典:Wikipedia

 

 

中臣鎌足の子である藤原不比等の四人の子供たちはそれぞれ南家、北家、式家、京家の藤原四家に分かれて政権内で次第に権力を持つようになりました。

 

平安時代に入ると、四家の中でも北家が力を持つようになりました。

 

北家では、天皇が幼少であったり病気であったりするときに、代わって政治を行う役職である摂政や天皇の後見役として補佐する役割の関白の職を独占して摂関政治を行うようになり、ますます栄えるようになっていきました。

 

しかし、北家のなかでも勢力争いが起こり、摂政や関白を務めた藤原北家の藤原兼家の子である「藤原道長」と道長の兄藤原道隆の息子の「藤原伊周」は激しい政権争いを繰り広げます。

 

 

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(藤原伊周 出典:Wikipedia

 

 

その後、政権争いに敗れた伊周は大宰権帥に左遷され、道長が一条天皇の内覧となり絶大な力を持つようになりました。

 

道長は四人の娘である彰子、妍子、威子、嬉子を異なる天皇の后とすることで天皇家と外戚関係になり、その権力を絶対的なものにしました。

 

また自身は1016年に摂政に就任し、1017年には太政大臣にも就任しました。

 

道長の行った摂関政治をその息子の藤原頼通の代も踏襲し、道長・頼通親子の時代はまさに摂関政治の最盛期であったといえます。

 

【藤原道長の摂政就任の語呂合わせ】年号(1016年)の覚え方!

藤原道長の摂政就任の語呂合わせ①

道長が摂政になったのは遠(10)い(1)昔(6)の話

 

物事は栄枯盛衰で、藤原氏が権勢を奮ったのも遠い昔の話ですね。

 

藤原道長の摂政就任の語呂合わせ②

言おう(10)ヒーロー(16)は摂政の道長

 

「源氏物語」の主人公である光源氏も道長がモデルではないかとも言われています。

 

藤原道長の摂政就任の語呂合わせ③

糖(10)尿病で、疲労(16)が募る摂政の道長

 

道長は糖尿病の持病をもっていたと言われています。

 

藤原道長の摂政就任の語呂合わせ④

ひい(1)!甥(01)を無(6)理に左遷した摂政の道長

 

甥っ子を左遷とは、権力争いも恐ろしいものですね。

 

藤原道長の摂政就任の語呂合わせ⑤

摂政の道長に問う(10)、ヒーロー(16)の資質とは

 

平安時代の人々にとって、道長とはどのような存在だったのでしょうか。

 

 

以上、藤原道長の摂政就任の語呂合わせでした!

 

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