【モリソン号事件の覚え方】年号(1837年)の語呂合わせを紹介!【おすすめ5選】

 

江戸時代も18世紀半ば以降、商業の発達とともに大量輸送が必要になり、海運業が非常に盛んになりました。

 

しかし、同時にそれは暴風雨などによって難破する船の数が増えること、また、船乗りが漂流の末、外国に流れ着く可能性が高まることも意味しました。

 

このため、外国によっては漂流民を日本に送り返しながら交易を求めようとする動きも出てきます。

 

こうした状況を背景として起きた事件がモリソン号事件です。

 

この事件は、幕府の鎖国政策を動揺させると同時に蘭学者の弾圧事件につながる点で重要ですので、概要と年号(覚え方)をしっかり学習しておきましょう。

 

モリソン号事件とは?

(モリソン号 出典:Wikipedia)

 

 

モリソン号事件とは、1837年(天保8年)、漂流中に救出された日本の船乗りを送還する目的で日本に派遣されたモリソン号が日本側から砲撃を受けた事件です。

 

当時、商業の隆盛に対応して大量の物品を安価に運ぶことができるのは、船による運搬、海運でした。

 

ですが、鎖国政策によって外洋航行ができる大船を建造することは禁止されていたため、沿岸伝いの廻船が運送を担っていました。

 

 

こうした船は嵐などで遭難しやすく、船乗りたちも水死や漂流という不運に見舞われることが多くなります。

 

この時期、日本人の外国への漂着者が急増したのは、海運業の発達と鎖国政策との矛盾の表れともいえます。

 

アメリカ船モリソン号は、マカオで保護されていた日本人船乗り7名を乗せて、広東から浦賀沖に来航しました。

 

しかし、1825年に出された無二念打払令(異国船打払令)にしたがった浦賀奉行所から砲撃され、いったん浦賀沖を去ります。

 

このあとモリソン号は鹿児島湾に現れますが、ここでも薩摩山川から砲撃を受けて、まったく目的を果たすことなくマカオに帰りました。

 

翌年の1838年、幕府はオランダ商館長の風説書によって、モリソン号の来航目的を知ります。

 

こうした目的で来航した外国船に対してどのような対応をすべきか、幕閣は検討を開始しました。

 

しかし、幕府の評議における議論の一部、徹底して打ち払うという強硬な意見だけがなぜか漏れてしまいました(幕府の方針は、オランダ船に日本人漂流民の送還を認めるとされています)。

 

これが幕府の方針であるかのように流布されため、西洋事情に詳しい人たちは危機感をもちました。

 

渡辺崋山は『慎機論』、高野長英は『戊戌夢物語』という著書で、その意見を表明しました。

 

しかし、これは幕府の対外政策への批判であるとして弾圧されてしまいます。(蛮社の獄)

 

モリソン号事件は、この蛮社の獄へとつながる点でも重要です。

 

【モリソン号事件の覚え方】年号(1837年)の語呂合わせ

モリソン号事件の語呂合わせ①

嫌味な(1837)、モリソン号事件

 

昔から言われてきた定番の語呂合わせですが、とくにモリソン号が嫌味なわけではなく、蛮社の獄を主導した鳥居耀蔵を想像しながら「い(1)や(8)み(3)な(7)」と覚えましょう。

 

モリソン号事件の語呂合わせ②

漂流した人は(18)皆(37)送ろう、モリソン号事件

 

モリソン号が漂着した日本人を送る目的ももっていたことに関わらせて「ひと(1)は(8)み(3)な(7)」送ろうと覚えましょう。

 

モリソン号事件の語呂合わせ③

文句は言わ(18)さぬ(37)、モリソン号事件

 

モリソン号事件をきっかけとした幕府の評議と、これに対する批判への弾圧に関わらせて、文句は「い(1)わ(8)さ(3)ぬ=ない(7)」と覚えましょう。

 

モリソン号事件の語呂合わせ④

多くの人は(18)災難(37)、モリソン号事件

 

モリソン号の乗員や送還されるはずの日本人船乗りにとってだけでなく、多くの人にとって災難にもなった状況に関わらせて「ひと(1)は(8)さい(3)なん(7)」と覚えましょう。

 

モリソン号事件の語呂合わせ⑤

漂流の位置は(18)未知(37)、モリソン号事件

 

漂流した人たちにとって、どこに流れ着くかわからない状況を想像して「いち(1)は(8)み(3)ち(7)」と覚えましょう。

 

 

 モリソン号事件の語呂合わせでした!

 

 

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