【鎖国の覚え方】開始年号(1639年)の語呂合わせを紹介!【おすすめ5選】

 

織田信長の時代には、南蛮貿易などを通じて世界の国々と多くの交流を持っていました。

 

しかし、江戸時代に入り幕府はキリスト教を禁教とし、キリスト教国であるポルトガル人を追放するなどして鎖国を完成。江戸幕府末期までこの状況は続きました。

 

今回は1639年の鎖国令の覚え方についてご紹介したいと思います。

 

鎖国とは?

Nagasaki bay siebold.jpg

(長崎の出島 出典:Wikipedia

 

 

鎖国とは、1639年 三代将軍徳川家光の時代にキリスト教などの禁教と貿易統制を目的として、日本人の海外渡航の禁止と外国船の来航を規制した政策のことです。

 

二代将軍徳川秀忠の代からキリスト教を禁教としていましたが、家光の代ではさらに禁教を強化しました。宣教師による内政干渉や、西欧諸国の侵略の回避などが目的だったともいわれています。

 

1635年には日本人の海外渡航の禁止を定めました。

 

1637年にキリシタンによる反乱である島原の乱が起こると、その2年後の1639年にはポルトガル船の来航を禁止。

 

 

その後鎖国体制をつくり、1641年にはオランダ商館を出島に移しました。

 

鎖国体制は1639年から1854年の日米和親条約締結まで約200年間も続きました。

 

 

しかし、鎖国と言ってもすべて海外からの来航を禁止にしたのではなく、キリスト教を広めない清国とオランダの二国は通商国として長崎での貿易を許可されていました。この窓口を長崎口といいます。

 

また、朝鮮王朝は対馬経由で(対馬口)、琉球王国は薩摩で(薩摩口)正式な国交のある通信国として鎖国中も交流をもっていました。

 

さらに松前藩も古くからの蝦夷地との北方貿易を引き続き幕府に認められたため、そのまま貿易を継続しました。(松前口)

 

このように鎖国体制化で日本には四つの窓口があったといわれています。

 

【鎖国の覚え方】開始年号(1639年)の語呂合わせ

鎖国開始年号の語呂合わせ①

鎖国で家光はヒーロー(16)サンキュー(39)

 

家光は強い将軍のイメージがありますね。当時の人々にとってはヒーローだったかもしれません。

 

鎖国開始年号の語呂合わせ②

異論(16)サクッ(39)と退けて鎖国完成

 

鎖国は好ましくないという意見ももちろんあったといいますが、家光の前では通らなかったのでしょう。

 

鎖国開始年号の語呂合わせ③

鎖国を披露(16)して交流を裂く(39)家光

 

鎖国で外国との交流は長い間ごく一部の国に限られてしましました。

 

鎖国開始年号の語呂合わせ④

ひい(1)!むさ苦(639)しいな、鎖国とは

 

やはり国を閉ざすことに息苦しさを感じる人もいたでしょうね。

 

鎖国開始年号の語呂合わせ⑤

鎖国で広く(16)柵(39)を作ろう!

 

鎖国とは国中に柵を作ってしまうようなものですよね。

 

 

以上、鎖国開始年号の語呂合わせでした!

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