【平清盛の太政大臣就任の語呂合わせ】年号(1167年)の覚え方を紹介!【おすすめ5選】

 

鎌倉時代につくられた有名な軍記物語である「平家物語」では平家の栄枯盛衰を物語の主軸に置いて描かれています。

 

平家がその歴史のなかで最も栄華を極めたのは、武士で平家の棟梁である平清盛が太政大臣に就任したときと言えるでしょう。

 

今回はそんな1167年に起こった平清盛の太政大臣就任の概要・年号の覚え方についてご紹介します。

 

平清盛の太政大臣就任とは?

(平清盛 出典:Wikipedia

 

 

1156年の保元の乱では、崇徳上皇と後白河天皇が対立し、平清盛は平家を率いて後白河天皇方につきました。

 

 

また保元の乱では後に源氏を率いることになる源頼朝の父、源義朝も後白河天皇方として参戦し、上皇方が勝利しました。

 

この時期からかつて栄えた貴族は没落していき、武士が力を持つようになっていました。

 

また1159年の平治の乱では、藤原通憲と平清盛が組み、藤原信頼と源義朝が組み、勢力を争いました。

 

 

義朝らが後白河上皇を幽閉したところを清盛が助け、信頼と義朝は敗北し信頼は斬刑、義朝は殺され、清盛は後白河上皇の信頼を得て武士の頂点に立つことになりました。

 

清盛は二条天皇や後白河上皇、有力な貴族などと友好的な関係を築き、平家の勢力を拡大。大輪田泊で日宋貿易を行い莫大な富を蓄え、地頭を設置するなど様々な武家政治を行いました。

 

そして、1167年に清盛が太政大臣に任命されると平家は本格的に栄華を極め、「平家にあらずんばひとにあらず」と言われるほどの勢いになりました。

 

しかし、その後、後白河法皇との関係は次第に悪化し、平家の横柄な政治に対する不満も起こるようになりました。

 

そして源頼朝などが各地で平氏打倒を掲げて挙兵し、平氏が次第に追い詰められていくなかで、1181年に清盛は病死します。

 

 

(清盛病死の様子を描いた錦絵 出典:Wikipedia)

 

 

その後平氏は壇ノ浦の戦いで滅亡するに至りました。

 

 

【平清盛の太政大臣就任の語呂合わせ】年号(1167年)の覚え方!

平清盛の太政大臣就任の語呂合わせ①

太政大臣の清盛はいい(11)胸(67)毛

 

いい胸毛とはどんな胸毛か気になりますね。

 

平清盛の太政大臣就任の語呂合わせ②

清盛は太政大臣になっても日々(11)虚(67)しい

 

地位はあっても心は満たされないことはよくあることですね。

 

平清盛の太政大臣就任の語呂合わせ③

太政大臣の清盛はひい(1)、ヒーロー(16)な(7)のか?

 

平氏の横柄な態度はとてもヒーローと呼べるものではなかったようです。

 

平清盛の太政大臣就任の語呂合わせ④

ひい(1)!清盛が太政大臣で異論(16)は無(7)しさ

 

怖くて異論など唱えられなかったでしょうね。

 

平清盛の太政大臣就任の語呂合わせ⑤

太政大臣の清盛は日々(11)ろくな(67)ことがなかった

 

地位を得ても、いいことばかりではないというのは現代と一緒かもしれません。

 

 

以上、平清盛の太政大臣就任の語呂合わせでした!

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