【戊辰戦争の語呂合わせ】年号(1868年)の覚え方を紹介!【おすすめ5選】

 

1968年、明治時代は内戦とともに始まりました。

 

旧幕府軍と新政府軍の戦いは苛烈を極め、長らく続いた封建制による支配体制は崩壊していきます。

 

今回は明治元年に起こった戊辰戦争の概要・年号の覚え方(語呂合わせ)をご紹介します。

 

戊辰戦争とは?

(戊辰戦争「上野での戦闘の様子」 出典:Wikipedia

 

 

戊辰戦争とは、1868年に始まった旧幕府軍と新政府軍による一連の戦いの総称です。戊辰の年に起きたことから戊辰戦争と呼ばれています。

 

では戊辰戦争が起きた背景とはどのようなものだったのでしょうか?

 

1867年10月に最後の15代将軍・徳川慶喜は「大政奉還」を宣言し江戸幕府が終わりました。

 

 

これにより政治の実権は朝廷に渡り、12月には天皇が政治を行う「王政復古」が宣言されました。

 

 

しかしながら新政府内での薩摩・長州藩への権力の偏りに不満を持つ勢力や、依然として徳川慶喜を中心とした政権を望む勢力などが混在した政府の立場はとても不安定なものでした。

 

そしてついに薩摩・長州を中心にした新政府軍と旧幕臣や会津藩を中心とした旧幕府軍は武力による覇権争いへと突入していき戊辰戦争が始まります。

 

それでは戊辰戦争の一連の戦いを見ていきましょう。

 

戊辰戦争の流れ

1868年1月、まずは京都で「鳥羽・伏見の戦い」が起こります。

新政府軍は徳川慶喜に対して内大臣職からの辞職や領地の返還を要求、これらの要求を不満とした旧幕府軍との間で戦闘となりましたが新政府軍が勝利しました。

 

1868年3月には新政府軍が江戸城の総攻撃のため江戸への進軍を始めます。

しかし新政府軍・西郷隆盛と旧幕府軍・勝海舟の会合などにより4月11日「江戸城の無血開城」が実施されます。

 

この後1869年3月江戸城は皇居に、日本の首都は京都から東京に変わりました。

 

1868年5月には東北25藩と越後6藩からなる「奥羽越列藩同盟」が結ばれて新政府軍に抵抗しますが、長岡城の戦い、会津の戦いと相次いで旧幕府軍は破れていき同盟は有名無実化していきました。

 

会津藩が新政府軍に敗れた時点で大勢はほとんど新政府軍の勝利となっていましたが・・・

1868年5月、戊辰戦争の最後の戦いである箱館戦争:「五稜郭の戦い」を率いていた榎本武揚が降伏を宣言(新選組の土方歳三は戦死)、ついに戊辰戦争が終わりました。

 

 

わずか1年あまりの短期で決着がついた戊辰戦争ですが、もしも戊辰戦争が長引いていれば新政府軍を支持していたイギリスと旧幕府軍を支持していたフランスが介入し最悪の場合は日本がどちらかの植民地になっていた可能性もありました。

 

また短期決戦で新政府軍が勝利したことで後の明治維新がスムーズに行えたともいわれています。

 

【戊辰戦争の語呂合わせ】年号(1868年)の覚え方!

戊辰戦争の語呂合わせ①

銃は(18)六発(68)戊辰戦争

 

戊辰戦争の勝敗を分けたのは武器の新旧にあったといわれています。新政府軍が用いたアームストロング砲やガトリング銃の威力に旧幕府軍は打つ手がなかったとか。

 

戊辰戦争の語呂合わせ②

ひとつ(1)やろうや(868)戊辰戦争

 

新政府軍にとっては徳川慶喜と旧幕府軍を叩きのめす絶好の機会が戊辰戦争であったともいえます。

 

戊辰戦争の語呂合わせ③

いばろうや(1868)会津の誇り

 

旧幕府軍の中心的な存在が会津藩でした。白虎隊の悲劇はあまりにも有名ですが最後まで誇り高く戦った様子は今も語り継がれています。

 

戊辰戦争の語呂合わせ④

いや(18)論破(68)して江戸無血開城

 

江戸城を武力攻撃すると頑なな西郷隆盛を論破した勝海舟のおかげで血を見ることもなく江戸城の明け渡しが行われました。

 

戊辰戦争の語呂合わせ⑤

いや(18)無理や(68)戊辰戦争

 

もしも戊辰戦争の勝者が旧幕府軍であったとしたら日本はどのような国になっていたのでしょうね?戊辰戦争という犠牲が今の日本を生んだともいえます。

 

 

以上、戊辰戦争の語呂合わせでした!

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